❐ ペナン生活
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こんにちは。たびなすびのよしです。
マレーシアのペナン島に移住し、1年が経ちました。
これまで、特にストレスもなく、穏やかで平和な日々を過ごしています。「住みたい!」と思っていた場所に自分たちの意志で住みはじめたので、ちょっとした問題が起きても前向きに解釈できています。
それと、海外生活は短期留学や研修、現地採用での滞在等を含めると、妻はマレーシアが6ヶ国目(アイルランド、スペイン、中国、台湾、韓国→マレーシア)、僕はマレーシアが5ヶ国目(アメリカ、オーストラリア、台湾、韓国→マレーシア)、
さらに夫婦共々根っからの旅好きなので、想定外のできごとには比較的慣れていて、異文化に適応できずに苦しむということはそうないだろうと考えていました。
もう20年近く前になりますが、外国で生活しはじめたころは、文化を相対的にみることができず、「日本ではあり得ない」「何で◯◯(国名)は」「だから◯◯(国名)は」といった愚痴をこぼすことも多かったのですが、
歳を重ね、訪れる国や滞在都市が多くなり、いつかやどこか、誰かと比べても仕方がないなと思うようになってきたのかもしれません。
兎にも角にも、ペナン島@マレーシアはとても居心地がいいです。
そんな居心地のよいマレーシアに移住して、1年が経ち、これまで友人や知人、ブログの読者から、マレーシアやペナン移住に関して、いろいろな質問を頂戴し、毎回同じようなことを答えているので、
移住1年を機に、今回はよく聞かれる質問<FAQ>に回答していくという形で書いていこうと思います。
マレーシア移住1年経過!僕たち夫婦が移住先にマレーシア(ペナン島)を選んだ理由
以下、目次になります。
長々といろいろ書き綴っていますが、、、決めてはコスパのよいオーシャンビューのコンドミニアムかもしれません。
詳細は以下をどうぞ。
❐ マレーシア(ペナン島)移住前のイメージと実際の生活にはどんな差がありますか?
❐ 外国ですし、日本では理解できないようなこと、生活していく上で大変なこともあるでしょう?
❐ マレーシア(ペナン島)への移住は夫婦で相談して、決めたのですか?
❐ マレーシア、その中でもペナンを選んだ理由などはあるんですか?
❐ マレーシアやラテンの国に憧れていたのに、なぜ、韓国に住んでいたんですか?
❐ でも、長年いた韓国から出るのもなかなか大きな決断だったのでは?
先日、妻のちかが【圧倒的妻目線】で1本記事を書いているので、今日は【圧倒的夫目線】でだらだらと。
マレーシア(ペナン島)移住前のイメージと実際の生活にはどんな差がありますか?
マレーシア移住前に描いていたとおりです。
マレーシアには旅行でも何度か来たことがありましたが、異なる民族<マレー系・中華系・インド系・ほか>が程よい距離感で共生しているというイメージでした。
僕たち夫婦はマレーシアの企業に勤めているわけでもなく、マレーシア人の家族がいるわけでもないため、マレーシアに住んでいても、現地の言葉や文化を強要されることもなく、比較的自然体でいやすい環境であると考えています。
言葉はさすがに共通言語を介さないと通じないので、英語を使いますが、マレー系の方も、中華系の方も、インド系の方も、母語はそれぞれマレー語、中国語(北京語・福建語・広東語など)、タミル語であり、英語は第二言語という方がほとんどです。
つまり、英語は、母語で言いたいことが言えない者同士のコミュニケーションツールでしかないので、日常生活では正しい教科書的な英語にそこまで拘ることなく、「間違ってても通じればいいや〜」という感じで気楽に使えます。
ちょっと、オーバーな例かもしれませんが、これぐらいラフな英語でもさほど問題ないような気がします。
昔、台湾のEVA航空に乗ったときに、ビビアン・スー似の台湾人の乗務員さんに満面の笑みで
と機内食のメニューについて聞かれたことがあるのですが、とても幸せな気持ちになりました。
マニュアル的な日本語だと「お客様、お肉とお魚、どちらになさいますか?」と言わなければならない場面なのでしょうけれど、僕は笑顔で問いかけられた「どっちかな?」に癒やされました。
外国語を使ったコミュニケーションで重要なのは、文法的な正しさではないということをここマレーシアでも日々実感しています。
外国ですし、日本では理解できないようなこと、生活していく上で大変なこともあるでしょう?
あえてあげれば、常夏なので、無性に糖分の多い飲み物を欲するということでしょうか。つい甘い炭酸飲料など、飲みすぎてしまいます。
いまのところ、それぐらい。
僕も妻も日本で最後に生活をしていたのが2001年なので、「日本ではこう」というものが少し遠い記憶で、海外生活をする上で、日本の常識は比較の対象にならなくなってきています。
ですから、想定外の初体験に関しては「ここではこうなのか」と、できるだけフラットに受けいれるようにしています。
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マレーシア(ペナン島)への移住は夫婦で相談して、決めたのですか?
夫婦でじっくり相談して、、、というよりは、勢いで決めてしまいました。決断は本当に一瞬でした。
2016年2月8日のことです。
当時、僕たちは韓国に住んでいました。
その日はちょうど旧正月。祝日で、仕事も休みだったので、妻と近くのスーパーに食材の買い出しに行くことにしました。いつも通り、駐車場のある3階から食品売り場のある1階までカート用エスカレーターで下りているときでした。
何気なく、妻に聞いてみたんです。
すると、妻は・・・
と。
妻はこんな仮定条件の会話が大好きで、暇さえあれば聞いてくるんです、小学生のクラスメートみたいに。
この日も普段暇つぶしにするようなどうでもよい妻との会話のはずだったのですが、僕が学生のころから「いつかできたらな」と思っていたことと、妻が今一番したいことが見事に一致し、さらには、韓国生活も15年、当時働いていた職場も節目の10年目だったので、「今が時かな」と思ったんですね。
そして、次の日、僕たちはそれぞれの職場の上司に退職願いを出しました。
妻はだらだらと長くなってしまった韓国生活を清算し、どこか別の場所で新しい挑戦がしたいと以前から思っていたようで、想いが一致してからの僕たちの行動ははやかったです。
2月8日にペナン移住を決め、9日に退職願を出し、14日に夫婦の新しい生活の記録としてブログとSNSを開設、24日にマレーシア滞在ビザのサポートエージェントに相談をしました。
「仕事どうする?」とか、そういう話はなかったんですか?
まず、お金ですが、安月給ながらも日本語教師として働いていた約15年、給料の大部分は貯金と運用にまわしていたので、暫くは何とかなるという状況でした。とにかく、「ペナンに住んでみたかった」ので、ペナンに移住するという決断は変えずに、どうすればペナンに住めるかというペナンに住むための方法を1年ぐらいかけて考えました。
職場との契約(学校で受け持っていた授業や提供してもらっていたアパートの契約)の関係もあり、退職願いを出してから、実際に辞めるまで1年の猶予があったので、毎日のようにペナン生活をイメージしながらアイディアを出し合いました。
(※ 結局、テニスレッスンは趣味として、時々、妻と、韓国人の友人に〜)
こんな感じで、韓国で過ごした最後の1年は、ペナン移住を直近の目標として掲げ、ただただそれを達成するためにできること、やらなければならないことを考えていました。
移住の決断は勢いでしましたが、その後、ビザの種類や、居住エリアなどの情報収集は慎重に行いました。
韓国に住んでいたころも、保有しているビザでは認められていない活動<バイト>をしていて、多額の罰金を支払ったことがある友人、ビザの残存期間の問題で入国後、大使館員に付き添われ24時間をホテルで過ごす羽目になった知人などを見てきました。
各国、ビザの種類は多種多様で、どの国も数十種類の在留資格があったりするので、海外移住を考える際にはビザに関する情報収集が最も重要ですね。
マレーシア、その中でもペナンを選んだ理由などはあるんですか?
実はこれに関しては、さほど悩み抜いて決めたわけではなく、ただただ「住んでみたかった」という理由だけで、マレーシアを選びました。
中でもペナンにした理由は街が世界遺産であるということ、島のゆったりとした雰囲気が心地よいということ、あとは、海沿いの素敵なコンドミニアムに住んでみたいということ、これぐらいです。
ほかには以下のような理由もマレーシア(ペナン)を選んだ理由として列挙してもよいかもしれません。
多民族が程よい距離感で共生している
アジアである<ご飯がおいしい>
英語が公用語だが、みな英語ネイティブではない。<ブロークンでOK>
日本から遠すぎない
日系企業が多く、日本のものが大抵揃う
海外旅行がしやすい<BKK・KUL・SINなどのハブ空港が近い>
日本語で受診可能な医療機関が多い
#ほどよく都会ほどよく田舎である【ペナン】
華人が多く、食事が他の街よりも合う【ペナン】
街が世界遺産。いつでも旅気分が味わえる。【ペナン】
注)海は綺麗ではありません! 海があり、夕日がきれい 【ペナン】
家賃8万円代の凄いコンドミニアムを見つけた【ペナン】 決め手→
ブログのプロフィールにも少し書きましたが、僕たち夫婦は同い年<アラフォー>で、ふたりとも10代のころから、海外生活への憧れを強く持っていました。
テレビや映画などの影響もあり、最初は英語圏(北米やオセアニア)しか見えていませんでしたが、僕の場合は、進路についていろいろと考えていた高校3年時に、たまたま手にとった『深夜特急』(沢木耕太郎著)がその後の人生を決定づけたといっても過言ではありません。
文庫本1巻〜6巻を貪り読んでからは、もう進路なんてどうでもよくなってしまい、旅をすること、外国に長期間滞在してみること、それが人生の目的になってしまいました。
人生の目的だなんて、大袈裟な気もしますが、多感な時期だったので、当時はそう思っていました。
それですぐに旅をはじめたのかと言えば、そうではなく、結局、大学受験をしたんです。
旅行はしようと思えばいつでもできますが、長期間、海外に住むということを考えた時、当時10代だった僕は「海外で就職する」か「駐在員として海外に派遣される」ということぐらいしか手段として思いつきませんでした。
そうなると、大学で何を学ぶかということは将来設計をする上でとても重要なこと。
目標がはっきりしていると、タイミングやチャンスも引き寄せられるように、自然と向こうからやってくるもので、偶然にも高校生だった僕は「日本語教師」という仕事を知りました。
バブル経済絶頂期だった80年代に日本政府によって「留学生10万人計画」が立案され、日本国内、海外の日本語学習者数も顕著に伸びはじめ、90年代半ばごろから、「日本語教師」という仕事が注目されはじめた時期でもありました。
香取慎吾主演のドラマ「ドク」がフジテレビで放送されたのもちょうど僕が高校生のころでした。当時は「あぁ・・・ドクのせいでライバルが増える」とドラマの影響で日本語教師を目指す人が増えるのではないかと不安を抱いていた記憶があります。
ですが、いろいろ調べてみると、海外での日本語教師は薄給。
※ 日本語教師はやめたほうがいい?将来性?未来は明るいかもよ、働き方によっては。
「本当に日本語教師でいいのか・・・」と不安になり、高校卒業後1年間はフリーター生活をしながら、都内の自治体がやっている外国人のための日本語ボランティア教室に毎週参加しながら、日本語教師体験をしてみたんですよね。
「そんな汚い日本語教えちゃダメでしょ」と、、ボランティアの僕にも厳しく接してくる職人気質のおばさん先生にムッとしながらも、外国の方と触れ合いが楽しくて、結局、1年後、大学(日本語教育専攻)に入学しました。
まだ出逢ってもいなかった妻も「大学卒業後は日本語教師として海外で働こう」と同じことを考えていたようで、異なる場所で4年間、日本語教育について学んでいました。
僕がマレーシアにいつか住んでみたいと思ったのは、大学入学後、一人旅をはじめてからです。
バックパッカーの聖地と言われていたカオサン滞在(バンコク)を皮切りに、アジア、中東、ヨーロッパ、オセアニア、北アフリカなどをあちこち訪れましたが、マレー半島南下の旅をした学生時代の旅日記に
「マレーシアやシンガポールは英語が通じ、治安もよい多民族国家。多民族が共生しているという面白さはあるけれど、何かインパクトが足りない。でも、住んだら楽しそうなところだ。いつか必ず住んでみよう」と綴っていました。
ちなみに、妻はその頃、ラテンの国に憧れていて、マレーシアに興味を持ち始めたのは結婚後、何度か旅行で訪れるようになってからです。
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マレーシアやラテンの国に憧れていたのに、なぜ、韓国に住んでいたんですか?
夫婦揃って、なぜ、東アジア(夫は韓国、妻は韓国→中国→台湾→韓国)に15年も滞在していたのか。
それは、当時日本語教師の需要が東アジアに集中していたからです。もちろん、東南アジアやラテンの国々でも募集はあったのですが、募集の詳細に「日本円にして月給4万円〜8万円(現地では十分生活できる給料です)」という説明が必ず書いてあったんですよね。
当時、週6で深夜バイトをしていて、アルバイト代を月に17万〜18万円ぐらいいただいていたので、「バイトの半分以下か・・・」なんて考えてしまうと、なかなか踏み切れませんでした。(ちなみに、青年海外協力隊にも挑戦しましたが落ちました!)
そんなこんなで、行きついた先が韓国(月給12万円+住居提供)で、大学卒業後に最初に働いたソウルの学校で僕たち夫婦は出逢いました。2002年、日韓ワールドカップの頃です。決して、ヨン様ブームにのって、韓国を目指したわけではありません!
でも、長年いた韓国から出るのもなかなか大きな決断だったのでは?
そうですね。まず、韓国に長年いた一番の理由は、毎年3〜4ヶ月の長期休暇があったという点と、あとは、やはり、仕事が本当に楽しかったです。
仕事場は主に教室で、毎日学生から「先生、先生」と慕われるのは正直嬉しいですし、また、韓国は日本と比べ、教師と学生の距離が近いので、教室外での学生との交流も楽しかったです。
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でも、そんな職場環境も変わってきてしまったんです。
韓国生活12〜3年目を迎えようとしていたころ、韓国も日本と同じように少子化で、学校の統廃合が進んでいました。さらに韓国経済の低迷により、就職難も重なってしまい、韓国政府は多額の予算を就職支援に充て、大学では様々な就職支援プロジェクトが実施されはじめました。
僕や妻のいた学校もご多分に漏れず、土日、長期休暇など関係なく、24時間体勢で授業以外の仕事が舞い込んでくるようになりました。
日本語教師に限らず、「教師」という仕事は自己承認欲求を得やすい職業です。
毎時間、学生の表情などから、良し悪し関係なく、リアルタイムで自分への評価を感じ取ることができます。
やりがいのある仕事だと思いました。授業の準備はすればするほど、よい結果(楽しそうな学生の表情)が教室で得られるのですから。
しかし、政府や学校の方針で授業以外の仕事に力を注ぐことが多くなってきてしまったんです。割合でいうと、授業3割、授業以外の仕事が7割ぐらいだったでしょうか。もちろん、授業以外の仕事にも没頭することはできましたが、授業の準備ほどではなかったんですね。
毎年、契約更新ができるかどうかとドキドキしながらも、日本語教師という仕事を長年続けられてきたのは、「授業」が楽しかったからです。
それが奪われた。
という一言も、そんな状況だったからこそ出たのかもしれません。
何事もタイミングですね〜。
ありがたかったのは、当時お世話になっていた上司が僕たちの想いを理解してくれて、退職願を提出にしにいった際にも
目標、その目的がはっきり決まってるなら、全力で応援するし、何かに挑戦したいけれどお金が足りないなら出資もする。
船も目的地があれば航海、なければ漂流。人生も同じだよ、tabinasubi先生。
と言ってくれました。
ビジョンを聞かれて、その場ですぐに「こんな夢があるんです」といった明確な目標は浮かびませんでしたが、マレーシアに住みたいという思いを熱くプレゼンしたような気がします。
上司は「辞めてほしくないけど、応援する。でも、いつでも戻って来ていいからね」と温かく送り出してくれました。
韓国とマレーシア、同じ海外生活ですが、どういう点が異なりますか?
それはもうマレーシアが「多文化共生社会」であるという点、そこにつきますね。
生まれ育った日本や長年住んだ韓国も、それぞれ、日本人と韓国人が圧倒的多数であるため、常識が共有しやすい社会でした。
※ ロングステイしたい国、14年連続1位のマレーシア。その理由はこれだ。在住日本人の暮らしぶりを長年住んだ韓国と比較してみた。
そして、当然のことですが、日本では日本語、韓国では韓国語が話されています。
日本や韓国で母語以外の外国語が聞こえてくれば「あ、外国人だ」と反応してしまったり、外国人と英語で話している日本人をみれば「すごい!あの人ペラペラだ」と、その人がちょっと「普通」ではない、「特別な人」になったりすること、ありませんか?
それはそれで面白いのですが、圧倒的多数の日本人や韓国人の間で共有されている文化や常識から少し外れてしまうと、特別扱いされることが多く、文化相対主義的な考え方がなかなか浸透しないという部分もあるのではないかと思っています。
いま、住んでいるマレーシアは多民族国家なので「違うのが当たり前」という社会です。
僕たちが日本語を話していても誰も気にしませんし、英語が話せても決して特別な人にはなりませんし、マレー語が話せなくても何とも思われません。
ペナン島は福建語を話す中華系マレーシア人が比較的多いので、東アジア系の顔をしている僕たちはレストランやカフェで福建語で話しかけられたりしますが、わからなそうにしていると、すぐに英語に切り替わります。
さきほども書きましたが、「マレーシアにいるからマレー語を学ばなければならない」「マレーシアに住んでいるのだからマレーシアの文化を理解する必要がある」といった郷に入れば郷に従え的な考え方はあまりなく、周りを気にせず、自由に生きられる国、それがマレーシアであると感じています。
これからもずっとペナンに住むんですか?
それはわかりません。
ただ、いまはとても居心地がよく、できるだけ長くここにいたいという思いです。
住みたい場所に住んでいるため、ふわふわした気持ちが続いているだけなのかもしれませんが、本当にペナンにきてよかったと思っていますよ!
以上、よく聞かれる質問をインタビュー形式で書いてみました〜。
タイの首都バンコクや、シンガポール、アンコールワットのあるカンボジアのシェムリアップ、ベトナムのハノイやホーチミンなどに比べ、ペナンにはまだまだ日本人観光客が少ないので、ペナン生活2年目は、旅の目的地として「ペナン島」がトレンドになるような魅力的な情報を積極的に発信していけたらなぁと思います。
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