旅のよもやま話

自分の意見を言うコツは同調圧力をかけないで話すこと!大きい主語と語尾に気をつけよう!

こんにちは!たびなすびのちかです。

最近、拙い英語を使ってて改めて感じたんですよね、

ちか
ちか
日本語って、ほんっと構造的に同意を得やすいようにできてるよなぁ

って。

英会話で反対意見をいうのは簡単

夕陽|夕焼け|ピピ島

英語での会話を聞いてると、人の意見に賛同できない場合の言い方がめちゃくちゃ自然ってことに気づきました。例えば、

ヨーロッパには屋台があまりないから、ここで食べるのには抵抗があるよ。
I don’t think so.

とか、

子どもがいると、夫婦でデートなんて夢のまた夢ね!
that’s not true!

みたいな感じで。

I don’t think so=そうかな

that’s not true!=そんなことない

っていうあまり強くない言い方だと思うんですが、頻繁に耳にします。

日本語で意見を言う時は主語を大きくする傾向が

ちょっと日本語を喋ってて引っかかることがあって、それが気になってました。それは、自分を主語にせずに、属性を主語にして話すこと。例えば、

私達の世代は、そういうアプリはあんまり使わないからわからない。」

東北の人は、そういうの得意じゃないからあまりやらない。」

結婚してる人は、そういうのなかなかできないから行けない。」

みたいな感じで。

文だけ見てたら「ふーん」って感じ。なんだけど、なんでこれ気になってるかというと全ての主語に私も当てはまってるからなんですよ!!

この文が発せられた時に、同席してた私。

「私達の世代(私もその世代)は、そういうアプリはあんまり使わないからわからない。」

「東北の人(私も東北出身)は、そういうの得意じゃないからあまりやらない。」

「結婚してる人(私も結婚してる)は、そういうのなかなかできないから行けない。」

聞き手の殆どは、その世代ではない、東北出身じゃない、独身者、という状況。ということは、話してる人の意見は自然と私の意見になってしまうわけですね。

でも、往々にして、「私はそうじゃない」というときに、すごく困る。しかも、更に語尾に同意語がつくとやっかい。

こんな感じ。

「私達の世代は、そういうアプリはあんまり使わないからわからないよねー?

もう逃げられない…。

でも、だからと言って、英語のように正直に否定してしまったらどうなるか。

例)

「私達の世代は、そういうアプリはあんまり使わないからわからないよねー?」

「いや、私は使うよ。」

 

「東北の人は、そういうの得意じゃないからあまりやらないよねー?」

「そう?私はやるけど。」

 

「結婚してる人は、そういうのなかなかできないから行けないよね?」

「そんなことないよ、私は行くよ。」

どうですか?「嗚呼、面倒臭い、この人…」と感じる人もいなくはなさそうでしょ。(←語尾で同意を求めてみた)

なぜいまさら日本語の話し方に気づいたのか

20年以上、日本から離れてたのに、なぜ最近になって気づいたのか。理由は二つ。

まず、一つ目。

ネイティブ日本人と話す機会が増えた。

ここでいうネイティブ日本人というのは、長年海外に住んでいる日本人ではなく、まだ日本からきてホヤホヤの生きた日本語を使う日本人。

例えば、マレーシアに越してくる前に住んでいた韓国では、日本語教師という立場上日本語を話す機会は多かったのですが、その相手は、99%韓国人(日本語学習者や日本語を話せる韓国人の同僚)。

なので、ネイティブ日本人のような日本語ではなく、彼らは韓国語を引きずったりもする(母語干渉)ので、話す言語が日本語ではあるけれど、構造的には韓国的表現になっているということも多々あります。

言い方もストレートなので、こっちもストレートに答えても全く問題ありません。(むしろ日本的婉曲表現を使うと伝わらない)

また、韓国で交流する日本人も日本語教師が多かったり、結婚して韓国人に囲まれてる人ばかり。

ほぼみんな表現が韓国っぽくなってたので、ネイティブ日本人らしい日本語での会話!?があまり生まれませんでした。

「私はそう思わない」と、少し強い口調でキッパリ言っても、「あ、そうー」と受け止められてたし、「でも私はこうなのよ!!」と10倍返しされることもザラ。

私もそう言われても何とも思わなかった。

 

二つ目の理由は、ペナンで欧米人との交流が増えたこと。

彼らが英語を使って話すと、「私はこう思う」の連続で話が進みます。情報を伝えるときにも必ず感想が挟まれるし。

例えば、ルーマニア人の夫婦の場合。

夫
東南アジアじゃ外食で屋台が主流だけど、私の国では一般的じゃないからちょっと躊躇しちゃうよ。だって衛生的じゃないじゃん、んお腹壊さないか不安になっちゃう。
妻
私はそう思わないわ、だって楽しいじゃない!いつでも外で食べられるなんて。うちの国は半分冬だし寒いから誰も外に店を出そうとしないから食べないだけでしょ。
夫
いや、違う!◯◯だって☓☓だって、ストリートフードだけどあれは抵抗ないもん、作り方の問題。
妻
比べるほうがおかしいわよ。だって根本的に季節も食べ物もちがうんだから。
夫
まあ、君はそう思ってればいいじゃん。
妻
だってそうだもん。それでね…
夫
OK!わかったよ。でさ〜

みたいな。

決して意見を曲げないし、自分の意見と違う時はちゃんと主張。そこで変な空気にもなりません

別にこれがいい話し方!とは思いませんけど、英語を勉強中なのでこういう会話に巻き込まれる場合が多いわけです。

そうすると、「うんうん、そうそうー」とか「だよねー。そうかもー」とか、とりあえずここは流しとこ、っていう日本語風相槌じゃ英語での会話を持っていけないことがわかりました。

そういう言葉がないわけじゃないんですけど、そういうことを続けてると意見大会から外され、存在の亡き者になる…。悲しいじゃん…。

英会話教室の先生のように、「なるほど、◯◯さんちょっと待って。次はちかさんの意見を聞きましょう。ちかさん、どう思いますか?」とか言う人なんていないしさ…。

だから、どうしても意見大会に割って入って、自分の意見を乗っけていかないとなって思うわけです。

で、その二つのコンボにより、改めて気づいたんです。日本語の同調会話構造を!

日本語を教えるときの参考にしたい

言語構造にやんややんや言いがちなのは、日本語教師だったからです。

言語に優劣をつけたいわけじゃないので、これは文化的背景の差だと認識してます。

英語は意見をはっきりいうゲルマン系の言葉だし、それに加えて非ネイティブが英語話者の7割をしめる極めて特殊な言語なので、よりストレートな表現が好まれるのでしょう。

ただですね、ここで言いたいのは、

ちか
ちか
日本語で意見を言いにくいからといって、属性で語るのはあんまりよくない

ということです。

その属性の人が自分しかおらず、特徴がわからない人に語る時はいいと思います。

例)

全員10代の中で、

「私の世代は自撮りしてアップする人なんてほぼいないよ、もう年だからねー。自信ないし恥ずかしいでしょ。」

というアラフォーの人。

まあ偏ってる場合もありますが、それも意見の一つかー、と聞き手には消化しやすいのでこれはこれでいいですね。

ただね、気をつけたいのは、

自分以外に同じ属性がいるなかで、その属性の代表のように意見を話すこと!

例)ほぼ10代だが、隣にもアラフォーがいる場合

「私たちの世代は自撮りしてアップする人なんてほぼいないよねー。もう年だからねー。自信ないし恥ずかしいよねー?

隣のアラフォーが自撮りしてたらどうします?

「あああ…そうかな…」みたいな微妙な反応しかできない可哀想な自撮りアラフォー。

 

まあ、これは極端な例ですけど、多分発言者の意見は「アラフォーになったら自撮りするのは年だから、自分は自信ないし恥ずかしい」だと思うんです。

それはそれで全然構いません、人それぞれ意見違いますし。

ただその場合は、

私は、アラフォーって年が気になって自撮りは自信がないし、恥ずかしいからできないな。」

と言ったほうがいい!

 

そしたら、隣のアラフォーも、「あら、私は年は気になんないから、時々するよ」と言いやすいし。(例が例だから、「いや、自撮りはないわー」という意見は置いといてくれよな。)

日本語は人に気を使う優しい言語だな、と思って日本語を教えてきたし、本当にそう思う表現がたくさんあります。

が!

上記の表現に限っては、むしろ、人に意見を強制しやすいちょっと怖い表現だな、と思います。

なので、気がついたときだけでも、意見を言う時は、なるべく「私」を主語にして、同じ属性の同席者に配慮できたらな、と思う!

意見が活発に交換されると会話も楽しくなるしね!

 

あ、一応言っときますが、皆が皆こういうふうに日本語で言うわけじゃないからね!

そこんとこ宜しく…。