旅のよもやま話

90年代のバックパッカーブーム|スマホなしの旅とカオサン

最近、90年代後半に旅先で出逢った旅仲間10代半ばから世界を4周ぐらいしている友人が現代の旅を嘆き、「最近の旅は旅と言えるのだろうか」と20年前の旅を懐かしみながら、

「スマホで何でもできちゃう今の旅のスタイルが合わないんだ」と寂しそうに話をしていたので、「そんなことないよ。旅も進化してる。新しい旅を楽しもうよ」と伝えました。

「最近の旅は自分には合わない」という友人の言葉の真意はこうです。

  • 宿は現地で歩きながら探したい…
  • 一期一会が旅の出逢いのいいところ
  • Googleマップに頼ったら旅のよさが…

つまり、ネットやスマホを駆使した旅は”冒険のような”旅ではなくなってしまうということ。

僕もそう感じることもありましたが、最近は文明の利器が旅の可能性を広げてくれたと感じているので、久しぶりに90年代後半の旅をふりかえりつつ、現代の旅のよさについて考えてみたいと思います。

ナザレ|ポルトガル

90年代後半に日本人バックパッカーが多かった理由

90年代後半はどこへ行っても日本人バックパッカーだらけでした。その理由を述べていこうと思います。

当時の旅をふりかえるキーワードは以下の5つ。

「深夜特急」「猿岩石」「青年は荒野を目指す」「タイは、若いうちに行け」「円高」

僕は高校時代に「深夜特急」に強い影響を受け、その興奮冷めやらぬまま大学生になってしまったので、学生時代は暇さえあれば航空券の値段を調べ、”沢木耕太郎の足跡を辿る旅”がしたいという熱い想いを胸に秘めていました。

当時(1990年代後半)、東南アジアのバックパッカーと言えば、日本人が一大勢力で、日本の若者の間ではテレビなどの影響もあり、海外旅行、特に貧乏旅行(いかに安く旅をするか)がブームにもなっていたような気がします。

旅先で出逢う旅人たちとも「いかに安く、そして、陸路でどの国境を越えてきたか」が話題の中心となることが多かったです。

今はわざわざ20時間かけてバス移動し、陸路で国境越えをしなくても、LCCを使えば、バスよりはやく、ときには安く移動できたりもするので、長距離バスや列車を選択する旅行者もだいぶ減ってきているのではないでしょうか。

参考までに、僕は今、妻とふたりで、マレーシアのペナン島に住んでいるのですが、首都クアラルンプールまではバスで約5〜6時間(38リンギット〜≒1000円)、LCCのエアアジアだと1時間(54リンギット〜≒1450円)です。

飛行機が安く移動できる選択肢の候補にあがるなんて、当時は考えられませんでした。

安く旅をするなら、迷わずバス・・・でした。

90年代後半のバックパッカーが「いかに安く、そして、陸路でどの国境を越えてきたか」を旅先で語り合っていたのは、お金をかけずに移動する手段がバスしかなかったというのも、もちろんそうなのですが、別の理由もあるんです。

Georgetown_Penang_ペナンペナン島|マレーシア

理由 その1:旅行本や旅番組の影響

まず、挙げなければならないのは「深夜特急」でしょう。

26歳の青年が仕事を辞め、あり金を握りしめ、インドのデリーからイギリスのロンドンまで乗り合いバスで旅をするという物語。

文庫本の初版が1994年に発行されたのですが、当時ゲストハウスで出逢う旅人のバックパックからまさにバイブルのように「深夜特急」が6冊スッと出てくると嬉しかったですね。

宿での会話に困ったときも「深夜特急」の話をすれば何とかなるだろうと思っていましたし、実際に「深夜特急ルート」が旅の定番でもありました。

「僕は東から西へ」「私は西から東へ」そんな会話をよくしていました。

そして、テレビの力。

1996年に「進め!電波少年」という番組で猿岩石がヒッチハイクの旅をし、また、ほぼ同時期に沢木耕太郎の「深夜特急」と五木寛之の「青年は荒野を目指す」がドラマ化されていましたので、

大沢たかお猿岩石、はたまた安藤政信と自分を重ね合わせながら旅していたという人も多かったのではないかと思います。

僕は(大沢たかおには大変申し訳ないんですが)完全に大沢たかおを演じていました。※ 実際の見た目は元猿岩石の有吉のほうが近いです。

ほかにも下川裕治の「12万円で世界を歩く」や、小林紀晴の「アジアン・ジャパニーズ」など、若者の心を揺さぶる旅行本が本屋に並んでいました。

どれもこれもが「みんな、旅を楽しもうぜ!」といった内容ではなく、旅先で自分と向き合い、旅を通じて感じた心の声が繊細に表現されており、実際に体験してみたいと思わせるようなものばかりでした。

ひとりバスに乗り、窓から外の風景を見ていると、さまざまな思いが脈絡なく浮かんでは消えていく。

そのひとつの思いに深く入っていくと、やがて外の風景が鏡になり、自分自身を眺めているような気分になってくる。

バスの窓だけではない。私たちは、旅の途中で、さまざまな窓からさまざまな風景を眼にする。それは飛行機の窓からであったり、汽車の窓からであったり、ホテルの窓からであったりするが、間違いなくその向こうにはひとつの風景が広がっている。

しかし、旅を続けていると、ぼんやり眼をやった風景の中に、不意に私たちの内部の風景が見えてくることがある。

そのとき、それが自身を眺める窓、自身を眺める「旅の窓」になっているのだ。ひとり旅では、常にその「旅の窓」と向かう合うことになる。~中略~

ひとり旅の道連れは自分自身である。周囲に広がる美しい風景に感動してもその思いを語り合う相手がいない。それは寂しいことには違いないが、吐き出されない思いは深く沈潜し、忘れがたいものになっていく。

「旅する力」 p142

理由 その2:円高

海外旅行や一人旅がブームになった主要因として、まず、旅行本や旅ドラマをあげましたが、90年代は「円高」が進み、海外旅行がしやすくなったというのも一つの要因ではないでしょうか。

日本の海外旅行自由化は1964年にはじまりますが、1970年代前半までは固定相場制で1ドル360円、変動レートになってからも1ドル200円台は1980年代前半まで続き、1ドル100円台に突入したのは1985年のプラザ合意以降です。

日本人の出国人数をグラフにしてみました。

グラフの青い縦線が僕が海外旅行の魅力に取り憑かれていた学生時代です。妻も同い年で同じように学生時代は「旅がしたい」「海外留学したい」「海外に住みたい」と常々思っていたようです。

円安傾向にあった1998年は出国者数もやや減少気味ではありましたが、海外旅行自由化以降、出国者数は右肩上がりで、1ドル100円台に突入した80年代後半には出国者数1000万人を突破しています。

さすがにSARSのあった2002年11月から2003年7月ごろは渡航者も激減していますが、直近20年は乱高下を繰り返しながらも緩やかに伸びていますね。

90年代後半に学生だった僕は

「最近の若い子はいいわね。私たちが新婚旅行でハワイに行ったころは1ドル360円だったのよ」

という話を両親や学校の先生たちからよく聞きました。

僕がはじめて旅らしい旅をしたのは、日本からの出国者も1500万人を突破した90年代後半。

1ドル360円を知っている世代からは背中を押され、テレビでは海外をテーマにした番組が増え、本屋に行けば「地球の歩き方」や「旅行人ノート」をはじめとしたガイドブックで旅情報が簡単に手に入るようになった時代でした。(※ ガイドブックは『歩き方』よりも『旅行人』を持っている方が旅の玄人っぽくみられた)

自然と「海外」を意識してしまう、そんな時期だったと思います。

「タイは、若いうちに行け。」

本やドラマに影響を受けた僕が90年代後半に旅らしい旅の目的地として最初に選んだのは「タイ」です。

現在アラフォー以上の方々は「タイは、若いうちに行け。」というタイ国際航空のキャッチコピーに聞き覚えがあるのではないでしょうか。

大変インパクトのあるCMでした。

(最近、このCMを参考にして、2017年から住みはじめたペナンの紹介動画を作成しています。よかったらご覧ください。▶ YouTube「ペナンのたびなすび」へ)

「深夜特急」を貪り読んでいるところに「タイは、若いうちに行け。」なんて言われたら、もう行くしかありませんでした。

そこに何があるのかもよくわかっていませんでしたし、とにかく、『深夜特急』のような旅をしようとしか考えていませんでしたので、特にこれといった目的もなく、ただただ「旅人の聖地」と言われる、カオサン(バンコク)を目指しました。

そして、「とりあえず、カオサン」に辿り着き、宿の共有スペースでは、くるくると手巻きたばこを作っているベテランの旅人から「いかに安く、そして、陸路でどの国境を、どのぐらい越えてきたか」という武勇伝を聞かされました。

そんな時代でした。

旅は進化した。90年代の旅をふりかえる。

画像は Khaosan Road です。

はじめて訪れたときは、タイなのに、タイ人がほとんどいないということに衝撃を受けました。

ゲストハウスや旅行代理店が立ち並び、外国人観光客のための場所ではありましたが、90年代後半は、00年代と比べ、特に日本人バックパッカーが多かったような気がします。

400メートルほどの一本道であるカオサン通りを5メートル歩けばどこからか日本語が聞こえてくるというぐらい日本人が多かったので、

当時はどこを歩いていても、「こんにちは」「社長さん」「見るだけタダ」「ちょっと、お兄さん」と声をかけられていました。(最近は「ニーハオ」ですね)

その旅人の聖地、カオサンで驚かされたのは日本人の多さだけでなく、旅に関する情報の充実度も然り。

「Yahoo! Japan」を開くのに4〜5分かかったり(開けても大した情報がない)、国際電話をかけるのに有料だったり・・・と、いまほど情報収集が自由にできる時代ではありませんでしたが、

「とりあえず、カオサン」へ行けば、世界各地の旅の最新情報を得られるというのが当時のバックパッカーの間では常識でした。(MPツアーの森さんやジミーくんバスマップのお世話になった人も多いはず。)

また、当時、バンコク発着の航空券はシーズンによる値段の高騰などが日本ほどはなかったため、一度、バンコクを訪れ、カオサンで旅の情報と目的地への航空券を仕入れるということもしていました。

旅をするなら、「とりあえず、カオサン」それが合言葉でした。

カオサンは、現代のスマホのような役割を担っていましたので、90年代の旅を語る上で外せません。

いまもなお、バンコクはバックパッカーの溜まり場となっていますが、以前とはだいぶ雰囲気も変わりました。

5年、10年で街も変わりますし、時代が変われば旅のスタイルも変わります。

インターネットやスマホの登場で、人間関係が希薄になったと言われがちです。旅先でもスマホがなかった時代に世界をまわっていた同世代の旅人がそんなことを呟いています。

思い出は美化されるので、僕自身も過去旅に浸り、そのように思っていた時期もありました。

しかし、リアルタイムで情報が得られる現代の旅は、実は、以前よりもずっと深みのある旅ができるのではないかと思っています。

学生時代は、旅=冒険で、未知との遭遇、発見と気づきによる自己成長こそが旅の醍醐味であると考えていましたが、

いまは予め十分に知識を入れてから現地に赴くことができるので、新しい情報に触れるというよりは、情報の確認作業をしながら、一歩先の新しい体験をすることが、旅の楽しみのひとつとなりました。

そして、人との出逢い方。大きく変わりました。

自分が訪れる地をすでに旅した旅人、いままさにその地にいる旅人、さらには、その地で生活しているローカルの人々とも簡単にSNSで繋がることができるので、

例え、一人旅であっても、旅のワクワクやドキドキを共感しあえる誰かが常にいます

旅が変わったのではなく、進んだ、、進化ですね。

インターネットがなかった時代の旅も素敵でしたが、僕は今の時代の旅も好きです。

もし、あなたが90年代の旅に思いを馳せ、現代の旅に嘆いているなら、一度、進化した旅を体験してみてください。

Airbnbで部屋を予約し、現地でSIMカードを買い、現地で出逢った旅仲間やローカルの方とFacebookで繋がってみましょう。

その瞬間から旅先の出逢いは一期一会ではなくなり、もしかしたら、一生の友になるかもしれませんよ。