【海外移住】マレーシア移住1年経過!僕たち夫婦が移住先にマレーシア(ペナン島)を選んだ理由

      2018/06/09

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こんにちは。たびなすびのよしです。

 

マレーシア(ペナン島)に移住し、1年が経ちました。

これまで、特にストレスもなく、穏やかで平和な日々を過ごしています。

以前から「住みたい!」と思っていた場所に自ら好んで住みはじめたのですから当然ですね。

 

あとは、現在、職場がない、日本から直接来ていない(直近は韓国在住)、居住国は数ヶ月ほどの滞在も含めると夫5カ国目・妻6カ国目、夫婦共々根っからの旅好きというのも、新しい文化への適応に影響しているものと思われます。

 

十数年前、はじめて外国に住みはじめたころは、文化を相対的にみることができず、「日本ではあり得ない」「何で◯◯(国名)は」「だから◯◯(国名)は」といった愚痴をこぼすことも多かったのですが、年齢を重ね、訪れる国や滞在国家が増えれば増えるほど、比較する対象も増え、いまは異文化に対する耐性もつきました。

 

もし、マレーシアがはじめての外国だったら、また違った感想になるのでしょうけれど、今のところ、ストレスなく平穏に暮らしています。

 

そんな居心地のよいマレーシアに移住し、1年が経ちましたが、これまで友人や知人、ブログの読者から、ペナン移住に関して、いろいろな質問を頂戴し、毎回同じようなことを答えているので、移住1年を機に、今回はよく聞かれる質問<FAQ>に回答していくという形で書いていこうと思います。

 

先日、妻のちかが【圧倒的妻目線】で1本記事を書いているので、今日は【圧倒的夫目線】でだらだらと。

 




マレーシア(ペナン島)移住前のイメージと実際の生活にはどんな差がありますか?

Photography by yOsHi

これが・・・全く同じです。

 

イメージしていた通りの生活。マレーシアは旅行でも何度か来たことがありましたが、異なる民族<マレー系・中華系・インド系・ほか>が程よい距離感で共生しているというイメージでした。

 

僕たち夫婦はマレーシアの企業に勤めているわけでもなく、ローカルの家族がいるわけでもないため、マレーシアに住んでいても、マレー語やローカルの文化を強要されることもなく、自然体でいやすい環境であると考えています。

 

言葉はさすがに共通言語を介さないと通じないので、英語を使いますが、マレー系の方も、中華系の方も、インド系の方も、母語はそれぞれマレー語、中国語(北京語・福建語・広東語など)、タミル語であり、英語は第二言語という方がほとんどです。

 

つまり、英語は、母語で言いたいことが言えない者同士のコミュニケーションツールでしかないので、正しい教科書的な英語にそこまで拘ることなく、「間違ってても通じればいいや〜」という感じで気楽に使えます。

 

私:「これ、借りても(使っても・食べても・飲んでも…etc)いい?」=「Can?」

ロ:「いいよ」=「Can Can」

 

ちょっと、オーバーな例かもしれませんが、でも、これぐらいラフな英語でもさほど問題ないような気がします。

 

昔、台湾のEVA航空に乗ったときに、ビビアン・スー似の台湾人の乗務員さんに満面の笑みで

「んーっと、お肉とお魚、どっちかな? 」

と機内食のメニューについて聞かれたことがあるのですが、とても幸せな気持ちになりました。

 

マニュアル的な日本語だと「お客様、お肉とお魚、どちらになさいますか?」と言わなければならない場面なのでしょうけれど、僕は「どっちかな?」に癒やされました。

 

外国語を使ったコミュニケーションで重要なのは、文法的な正しさではないということを日々実感しています。

 

 

そうは言っても、外国です。生活していく上で大変なこともあるでしょう?

mucallumcafe

Photography by yOsHi

あえてあげれば、常夏なので、無性に糖分の多い飲み物を欲するということでしょうか。ついつい甘い炭酸飲料など、飲みすぎてしまいます。

 

それぐらいかな・・・。

 

マレーシアに来る前にも韓国に長年住んでいたので、日本の常識では理解できないようなことが起こっても、ここではこうなのかと自然と受けいれられるようになったのかもしれません。

 

 

マレーシア(ペナン島)への移住は夫婦で相談して、決めたのですか?

夫婦でじっくり相談して、、、というよりは、勢いで決めてしまいました。決断は本当に一瞬でした。

 

2016年2月8日のことです。

 

当時、僕たちは韓国に住んでいたのですが、その日はちょうど旧正月で祝日だったので、妻と近くのスーパーに食材の買い出しに行くことにしました。いつも通り、駐車場のある3階から食品売り場のある1階までエスカレーターで下りているときでした。

 

何気なく、妻に聞いてみたんです。

 

「ねぇねぇ、今、一番したいことをひとつだけあげるとしたらそれは何?」と。

 

すると、妻は・・・

 

「ペナンに住みたい」と。

Photography by yOsHi

こんな仮定条件の会話は妻が結構好きで、日頃からよくするんです。

 

「1億あったら何する?」とか「日本で住むとしたらどこに住む?」とか。

 

この日も日常的などうでもよい妻との会話のはずだったのですが、僕が昔からいつかやりたいと思っていたことと、妻が今一番したいことが見事に一致し、さらには、韓国生活も15年、当時働いていた職場も節目の10年目だったので、今が時かなと思ったんですね。

 

「え〜?おれも、ペナン住みたいなぁって思ってた。」

 

「じゃ、住もうよ」

 

そして、次の日、僕たちはそれぞれの職場に退職願いを出しました

 

 

「仕事どうする?」とか、そういう話はなかったんですか?

Perhentian, Malaysia

Photography by YOSHI

「ペナンに住みたい」ということが、何よりもしたかったことなので、ペナンに移住するという決断は変えずに、どうすればペナンに住めるかというペナンに住むための方法を1年ぐらいかけて考えました。

 

職場との契約の関係もあり、退職願いを出してから、実際に辞めるまで1年の猶予があったので、毎日のようにペナン生活をイメージしながらアイディアを出し合いました。以下はその一例です。

 

夫:ペナンで日本語教師の仕事探す?

妻:日本語教師から少し離れて、何かほかのことしようよ。

夫:それもそうだね。

妻:あ、テニスのコーチもできるじゃん。(※ 韓国でも日本人向けにやっていた)

夫:あ、できるかも。

妻:ペナンに日本の方もたくさん住んでるみたいだし、日本語でテニスレッスンとかさ!

夫:楽しそう〜!あと、タイマッサージもできる!

妻:テニスレッスン<タイマッサージ付き>とかいいじゃん

夫:何か、楽しくなってきたね!でも、ビザとかも調べなきゃね。

妻:そうだった!海外在住するにあたって、一番重要なのは結局ビザだもんね。

夫:そうだね。

妻:まぁ、15年間働いてきたし、一旦、休暇として滞在するのもいいかもね。

夫:そういう生き方もいいよね。

 

(※ 結局、テニスレッスンは妻と友人に趣味としてやることにしました)

 

韓国で過ごした最後の1年は、ペナン移住を直近の目標として掲げ、ただただそれを達成するためにできること、やらなければならないことを考えていました。

 

移住の決断は勢いでしましたが、その後、ビザの種類や、居住エリアなどの情報収集は慎重に行いました。

 

韓国に住んでいたころも、保有しているビザでは認められていない活動<バイト>をしていて、多額の罰金を支払ったことがある友人、ビザの残存期間の問題で入国後、大使館員に付き添われ24時間をホテルで過ごす羽目になった知人などを見てきました。

 

各国、ビザの種類は多種多様で、どの国も数十種類の在留資格があったりするので、海外移住を考える際にはビザに関する情報収集が最も重要ですね。

 

 

マレーシア、その中でもペナンを選んだ理由などはあるんですか?

実はこれに関しては、さほど悩み抜いて決めたわけではなく、ただただ「住んでみたかった」という理由だけで、マレーシアを選びました。

 

中でもペナンにした理由は街が世界遺産であるということ、島のゆったりとした雰囲気が心地よいということ、あとは、海沿いの素敵なコンドミニアムに住んでみたいということ、これぐらいです。

 

ほかには以下のような理由もマレーシア(ペナン)を選んだ理由として列挙してもよいかもしれません。

・多民族が程よい距離感で共生している

・アジアである<ご飯がおいしい>

・英語が公用語だが、みな英語ネイティブではない。<ブロークンでOK>

・日本から遠すぎない

・日系企業が多く、日本のものが大抵揃う

・海外旅行がしやすい<BKK・KUL・SINなどのハブ空港が近い>

・日本語で受診可能な医療機関が多い

・都会でもあり、田舎でもある【ペナン】

・華人が多く、食事が他の街よりも合う【ペナン】

・街が世界遺産。いつでも旅気分が味わえる。【ペナン】

・海があり、夕日がきれい 【ペナン】  注)海は綺麗ではありません!

・凄いコンドミニアムを見つけてしまった(これが決め手かも・・・)【ペナン】

 

ブログのプロフィールにも少し書きましたが、僕たち夫婦は同い年<アラフォー>で、ふたりとも10代のころから、海外生活への憧れを強く持っていました。

 

理由はいくつかあげられますが、親や親戚が海外に少し住んでいたり、海外特集の番組や紀行文に触れることが多かったのが、いつしか海外生活や海外旅行に興味を持つようになった大きな理由ではないかと思っています。

 

僕の場合、進路についていろいろと考えていた高校3年時に、たまたま手にとってしまった『深夜特急』(沢木耕太郎著)がその後の人生を決定づけたといっても過言ではありません。

 

文庫本1巻〜6巻を貪り読んでからは、もう進路なんてどうでもよくなってしまい、旅をすること、外国に長期間滞在してみること、それが人生の目的になってしまいました。人生の目的だなんて、大袈裟な気もしますが、多感な時期だったので、当時はそう思っていました。

 

それですぐに旅をはじめたのかと言えば、そうではなく、結局、大学受験をしたんです。

 

旅行はしようと思えばいつでもできますが、長期間、海外に住むということを考えた時、当時10代だった僕は「海外で就職する」か「駐在員として海外に派遣される」ということぐらいしか手段として思いつきませんでした。

 

そうなると、大学で何を学ぶかということは将来設計をする上でとても重要なこと。

 

目標がはっきりしていると、タイミングというものは自然と向こうからやってくるもので、偶然にも高校生だった僕は「日本語教師」という仕事を知りました。バブル経済絶頂期だった80年代に日本政府によって「留学生10万人計画」が立案され、日本国内、海外の日本語学習者数も顕著に伸びはじめ、「日本語教師」という仕事が注目されはじめた時期でもありました。

 

香取慎吾主演のドラマ「ドク」がフジテレビで放送されたのもちょうど僕が高校生のころでした。当時は「あぁ・・・ドクのせいでライバルが増える」とドラマの影響で日本語教師を目指す人が増えるのではないかと不安を抱いていた記憶があります。

 

まだ出逢ってもいなかった妻も「大学卒業後は日本語教師として海外で働こう」と同じことを考えていたようで、異なる場所で4年間、日本語教育について学んでいました。

The_earth

Photography by YOSHI

僕がマレーシアにいつか住んでみたいと思ったのは、大学入学後、本格的に一人旅をはじめてからです。

 

バックパッカーの聖地と言われていたカオサン滞在(バンコク)を皮切りに、アジア、中東、ヨーロッパ、オセアニア、北アフリカとあちこち訪れましたが、マレー半島南下の旅をした学生時代の旅日記に「マレーシアやシンガポールは英語が通じ、治安もよい多民族国家。多民族が共生しているという面白さはあるけれど、何かインパクトが足りない。でも、住んだら楽しそうなところだ。いつか必ず住んでみよう」と綴っていました。

 

ちなみに、妻はその頃、ラテンの国に憧れていて、マレーシアに興味を持ち始めたのは結婚後、何度か旅行で訪れるようになってからです。

 

マレーシアやラテンの国に憧れていたのに、なぜ、韓国に住んでいたんですか?

夫婦揃って、なぜ、東アジア(夫は韓国、妻は韓国→中国→台湾→韓国)に15年も滞在していたのか。

 

それは、当時日本語教師の需要が東アジアに集中していたからです。もちろん、東南アジアやラテンの国々でも募集はあったのですが、日本円にして月給4万円、8万円(大学時代のバイト代の半分以下)といった待遇をみてしまうと、さすがに働く気が起こりませんでした。

 

そんなこんなで、行きついた先が韓国で、大学卒業後に最初に働いたソウルの学校で僕たち夫婦は出逢いました。2002年、日韓ワールドカップの頃です。決して、ヨン様ブームにのって、韓国を目指したわけではありません!

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でも、長年いた韓国から出るのもなかなか大きな決断だったのでは?

そうですね。まず、韓国に長年いた理由は、毎年3〜4ヶ月の長期休暇があったという点と、あとは、やはり、仕事も本当に楽しかったです。仕事場は主に教室で、毎日学生から「先生、先生」と慕われるのは正直嬉しいですし、また、韓国は日本と比べ、教師と学生の距離が近いので、教室外での学生との交流も楽しかったです。

 

でも、そんな職場環境も変わってきてしまったんです。

 

韓国生活12~3年目を迎えようとしていたころ、韓国も日本と同じように少子化で、学校の統廃合が進んでいました。さらに韓国経済の低迷により、就職難も重なってしまい、韓国政府は多額の予算を教育改革や就職支援に充て、高等教育機関では様々なプロジェクトが実施されはじめました。

 

僕や妻のいた学校もご多分に漏れず、土日や長期休暇も関係なく、24時間体勢で授業以外の仕事が舞い込んでくるようになりました。

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日本語教師に限らず、「教師」という仕事は他者からの承認欲求を得やすい職業です。

 

毎時間、学生の表情などから、良し悪し関係なく、リアルタイムで自分への評価を感じ取ることができます。

 

やりがいのある仕事だと思いました。授業の準備はすればするほど、よい結果(楽しそうな学生の表情)が教室で得られるのですから。

 

しかし、政府や学校の方針で授業以外の仕事に力を注ぐことが多くなってきてしまったんです。割合でいうと、授業3割、授業以外の仕事が7割ぐらいだったでしょうか。もちろん、授業以外の仕事にも没頭することはできましたが、授業の準備ほどではなかったんですね。

 

「今、一番したいことをひとつあげるとしたらそれは何?」

 

というのは、そんなときだからこそ出た一言だったのかもしれませんね。何事もタイミングですね〜。

 

韓国とマレーシア、同じ海外生活ですが、どういう点が異なりますか?

それはもうマレーシアが「多文化共生社会」であるという点、そこにつきますね。

 

生まれ育った日本や長年住んだ韓国も、それぞれ、日本人と韓国人が圧倒的多数であるため、常識が共有しやすい社会でした。

 

そして、当然のことですが、日本では日本語、韓国では韓国語が話されています。

 

日本や韓国で母語以外の外国語が聞こえてくれば「あ、外国人だ」と反応してしまったり、外国人と英語で話している日本人をみれば「すごい!あの人ペラペラだ」と、その人がちょっと「普通」ではない、「特別な人」になったりすること、ありませんか?

 

それはそれで面白いのですが、圧倒的多数の日本人や韓国人の間で共有されている文化や常識から少し外れてしまうと、特別扱いされることが多く、文化相対主義的な考え方がなかなか浸透しないという部分もあるのではないかと思っています。

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いま、住んでいるマレーシアは多民族国家なので「違うのが当たり前」という社会です。

 

僕たちが日本語を話していても誰も気にしませんし、英語が話せても決して特別な人にはなりませんし、マレー語が話せなくても何とも思われません。

 

ペナン島は福建語を話す中華系マレーシア人が比較的多いので、東アジア系の顔をしている僕たちはレストランやカフェで福建語で話しかけられたりしますが、わからなそうにしていると、すぐに英語に切り替わります。

 

さきほども書きましたが、「マレーシアにいるからマレー語を学ばなければならない」「マレーシアに住んでいるのだからマレーシアの文化を理解する必要がある」といった郷に入れば郷に従え的な考え方はあまりなく、周りを気にせず、自由に生きられる国、それがマレーシアであると感じています。

 

これからもずっとペナンに住むんですか?

それはわかりません。

 

ただ、いまはとても居心地がよく、できるだけ長くここにいたいという思いです。

 

住みたい場所に住んでいるため、ふわふわした気持ちが続いているだけなのかもしれませんが、本当にペナンにきてよかったと思っています。

 

異文化適応のU字曲線で言えば、いまはまさに「ハネムーン期」です。この状態がいつまで続くのか、自分でも楽しみです。

 

韓国ではハネムーン期が2ヶ月ぐらい(妻は1週間ぐらい)、その後、ショック期が3年ぐらい続いたので、もしかしたら、ペナンでもそんな時期がやってくるのかもしれません。

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以上、よく聞かれる質問をインタビュー形式で書いてみました〜。

 

最初に異文化に対する耐性もついたと書きましたが、ペナンは多文化共生社会なので、そもそも適応する必要がないのかもしれませんね。

 

東南アジア旅行の目的地として、まだまだマイナーなペナンですが、面白いところです。

 

バンコクやシンガポール、シェムリアップ、プノンペン、ハノイやホーチミンなどに比べ、ペナンにはあまりにも日本人観光客が少ないので、ペナン生活2年目は、旅の目的地として「ペナン島」がトレンドになるような魅力的な情報を積極的に発信していきたいなぁと思います。

 

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