ペナン移住関連

【海外移住】2017年、マレーシアへの移住目標達成。2018年は?!

あけましておめでとうございます。たびなすびのよしです。

日本では先週までデパートの入口に飾られていたクリスマスツリーも門松に変わり、街では新年の挨拶が頻繁に交わされているのでしょうか。

僕たちはTシャツ、短パン、ビーサンで湿気のあるベランダでカウントダウンと共に2018年を迎えました。

生まれてはじめて、四季のない常夏の国で新年を迎えたわけですが、元日の朝、起床し、初日の出を眺めてみても、新しい一年のはじまりをあまり実感できませんでした。

年中暑いので、月日が流れても常々7月か8月を過ごしているような感覚で、クリスマスや大晦日も「いま、クリスマス(大晦日)と言われても・・・」といった状態になりますが、2〜3年もすれば、夏に年の暮れを過ごし、新年を迎えるのが当たり前になってくるのかもしれません。

今年は移住一年目ということで、まだ気持ちもふらふらした状態ですが、一応、年明けということで、昨年のふりかえりと共に今年の目標などを少し掲げてみたいと思います。


 

2017年に立てた目標は?

2017年は以下のような目標を立てていました。

① たびなすび「トークイベント」をやってみる

② ペナン島で目星をつけていたコンドミニアムに住む

③ マレーシアの長期滞在ビザを取得する

④ 多くの友人知人にペナンのよさを知ってもらう

⑤ 新しい土地で積極的に異文化交流する

⑥ 安定した収入源を確保する

達成できたのは①〜⑤、⑥は△でした。

順に振り返ってみたいと思います。

 

① たびなすび「トークイベント」をやってみる

◯ 達成しました!

2016年2月に職場に退職する旨を伝え、契約満了の2017年2月に退職するまでの1年間、この「たびなすび」に過去旅の情報や韓国生活情報を日々発信し続けていました。

夫婦で新しいことをはじめるためのベースとして開設した「たびなすび」がちょうど1周年を迎えるということで、トークイベントを開催する運びとなりました。

実際のところ、僕は開催に消極的でした。

なぜなら、日本語教師を辞めると決めただけで、ブログは開設したものの、特別新しいことをはじめてはいなかったからです。

「15年住んだ韓国を離れます」「日本語教師から少し離れます」「マレーシアに移住します」この3トピックだけではイベントなんてできないと考えていました。

逆に妻は「別に多くの人に集まってもらいたいからやるんじゃなくて、こういうイベントを開催することに意味があるんだよ。来場者が一人でもいいから、とりあえず、やってみようよ」と前向きでした。

妻の勢いにのまれ、渋々準備に取り掛かかりました。大した話はできないんじゃないかと思っていた3本柱ですが、自分たちが伝えたいことと、聴衆のニーズをすり合わせながらブレストしているうちに、「2時間じゃ足りないな・・・」と思うようになりました。

この過程が思っていた以上に楽しく、イベントの準備がきっかけで、妻との絆もより深まったような気がします。共通の目的意識を持ち、目標に向かって共に歩むことの大切さを学びました。

大成功だったかどうかは別としても、トークイベントをやってみていろいろな気づきがありました。

まず、聴衆が100%「話を聞いてみたい」「何か質問してみたい」と思っている人たちであるというのは、スピーカーにとって、とても心地よいことであるということ。

これまで日本語教師として、人前で数時間話すということは日常でしたが、授業の準備は面白くもあり、苦痛でもありました。

次々にアイディアが生まれ、それを教材という形にできる日は気分も乗るのですが、アイディアの神が降りてこず、2時間の授業の準備に気がつけば10時間ということも日常茶飯事でした。

シラバスもあり、その日にやるべきことが決まっているのに、なぜ、そこまで時間をかけてアイディアを絞り出さなければならないかと言うと、それは仕方なく僕のクラスを履修している学生たちにもできるだけ満足してもらうためです。

カリキュラムの都合上、別に履修したい科目ではないけれど、必修科目だから履修せざるを得ないという学生、その時間帯に希望する科目がないため、仕方なくそこにある科目を履修するという学生も多かったのです。

一方、トークイベントは授業で例えると、「やる気があり、目をキラキラさせた学生ばかりのクラス」という雰囲気でしたので、そこまで聴衆の表情を窺うことなく、楽しく話ができました。トークイベントと授業は全くの別物でした。

何より、トークイベントで伝えたいことを伝え、聴衆から質問をしてもらうことにより、自分たちの決断を改めて整理することができたのはよかったと思っています。

トークイベントはできれば今年も開催したいです。

❒ トークイベントに関する詳しい記事はこちら

『たびなすびトークイベントin釜山』無事終了しました!

② ペナン島で目星をつけていたコンドミニアムに住むこと

◯ 達成しました!

2017年3月に移住を果たしたわけですが、その半年前に「コンドミニアム内見の旅」と称し、ペナンを訪れました。

ペナンには移住半年前の2016年8月に内見目的のためだけに2週間ほど滞在しました。予め、Googleマップで立地と外観からいくつかのコンドミニアムに目星をつけていたので、ひたすらエージェントさんとコンドミニアムをまわるという2週間でした。

いくつか内見した結果、「何が何でもここに住みたい。予算より高くても頑張って稼ごう」と妻と意見が一致した「Quayside」というコンドミニアムがあり、半年後にそこへ越すことを夢見て、韓国に戻りました。

マレーシアへの移住が目的だったはずが、いつしかそのコンドミニアムに住むことが目的となっていたような気がします。

時は過ぎ、2017年3月、いざペナンに越してきたわけですが、コンドミニアムのどの部屋に住むかは改めて内見する必要がありましたので、最初の1ヶ月は契約を予定しているコンドミニアム内の一部屋をAirbnbで借りることにしました。

なるべく少ない荷物で引越ししたかったので、Airbnbのオーナーにも協力してもらい、引越し荷物<箱2つ>を事前に送り、身軽な状態で夢のマレーシアへ入国しました。

移住後は内見旅行でお世話になったエージェントさんに再度連絡を取り、Airbnbで借りた部屋に仮住まいしながら、2週間で15部屋近くを内見させてもらい、最終的に海とマリーナの夜景が楽しめる部屋(↓画像)に決めました。

③ マレーシアの長期滞在ビザを取得すること

◯ 達成しました!

マレーシア移住にあたり、ビザをどうするかが一番の問題でした。

3ヶ月滞在可能で家の賃貸契約もできてしまう観光ビザで移住することも考えていましたが、ビザランを繰り返すリスクを考えると、やはり何かしらビザを取得して移住する必要がありました。就労ビザ、起業ビザ、ラブアン法人ビザ、MM2Hなど、いろいろなビザがありましたが、僕たちはMM2H<Malaysia My 2nd Home>ビザを取得しました。

50歳未満の場合、資産証明と収入証明の基準がなかなか厳しく、大変でしたが、資産証明は日本と韓国を行き来しながら何とかし、収入証明も夫婦で申請する場合、合算で提出可ということで、ギリギリ申請条件をパス・・・しました。

観光ビザでビザランを繰り返しながら、2年以上マレーシアに住んでいる友人もいるので、やりようによっては観光ビザでの長期滞在も可能なのかもしれませんが、リスクが大きすぎて、あまりおススメはできません。

結局、MM2Hビザは2016年10月の申請準備開始から2017年7月の取得まで、約9ヶ月かかりました。

僕たちは2017年3月に越してきましたので、2017年3月から6月までは3ヶ月間は観光ビザでの滞在で、一度、ビザランのため、マレーシアを出国し、タイに向かいました。(※ コンドミニアムは観光ビザでも契約できます)

条件をパスし、申請すれば余程のことがない限りはビザが下りるとのことでしたが、やはり、実際に取得するまではドキドキしながら生活していたので、パスポートにビザが貼付されたときはホッとしました。

④ 多くの友人知人にペナンのよさを知ってもらうこと

◯ 達成しました!

マレーシア移住を決めると、友人知人から「何でマレーシアなの?」とよく聞かれました。

また今度詳しく書きますが、19歳のときにマレー半島南下の旅をしたときから「いつかマレーシアに住みたい」という思いはあり、それを約20年かけてようやく実現させました。

マレーシアはロングステイ財団のアンケート『ロングステイ希望国・地域』でも2006年から11年以上連続で1位に君臨しています。そこには様々な理由が存在するものと思いますが、僕たちが考えるマレーシアの最大の魅力はありきたりですが、「多様性」です。

そんなマレーシアの魅力を感じてもらうべく、移住後から家族や旅仲間、元同僚などに積極的に声をかけ、移住10ヶ月で12人+2人(ブログをみてわざわざ訪ねてくださった方まで!)も遊びにきてくれました。リピーターも一人。

⑤ 新しい土地で積極的に異文化交流すること

◯ 達成しました!

これが2017年で最も達成感のあったことかもしれません。

英語が全くできないというわけではありませんが、そこまで自信があるわけでもなく、共通言語が英語の輪の中に入るのはそれなりに勇気がいります。

これまでも留学先、旅先のゲストハウスや現地ツアー等で英語だけの環境に身をおくということはそれなりにありましたが、長時間一緒にいると疲れてしまい、日本人同士の空気を読み、程よく間のある空間に逃げ込んだりしていました。

英語を話すのが疲れるというよりも、英語でのコミュニケーション方法に疲れてしまうといった感じでしょうか。

言いたいことをはっきりと言わなければならないストレス、言いたいことを言わないとその場ではもはや空気のような存在になってしまうというストレスが英語を使うときに出てきます。

韓国で韓国語を使っていたときには(自己主張は日本人よりもだいぶ強いですが)敬語表現、間のとり方、相槌の打ちかたなどが、日本語と似ている部分が多いので、心理的に英語を使うときよりは日本語を話すときの感覚に近かったように思います。

自分たちの性格がどんな文化圏の言語を学習するのに適していて、どんなコミュニティーが楽でいられるかなどは何となく理解しているつもりですが、今年はそのような壁を乗り越えるべく、積極的にいろいろなコミュニティーに参加してみました。

⑥ 安定した収入源を確保すること

△ まだまだです。

雇われずに働くと決め、(やりたいことの中で)できそうなことは何でもやってきました。

まだまだペナンで安心して暮らしていけるほどの収入にはなっていないため、2017年は貯金を切り崩しながらの生活でした。ただ、いろいろ挑戦してみて、やっていけないことはないというある程度の目処はたったので、あとは継続してペースアップしていければよいかなと思っています。

年齢の中央値が28歳のマレーシア(日本は48歳)、若い国だけあって、トレンドの移り変わりも激しく、新しいものが次々と創造されていく様子を目の当たりにします。

コワーキングスペースなどに行くと、フリーで働く若者や海外からのフリーランサーと出逢う機会も多く、いい情報交換ができる(大抵収入源が複数ある)ので、彼らに負けないように頑張っていこうと思います。

 


 

以上、2017年に立てた目標をざっと振り返ってみました。

拠点を韓国からマレーシアへと移し、新しい一歩を踏み出したわけですが、改めて、行動は知を広げ、創造を生むということに気づけた1年でした。

年末のクリスマスには憧れの沢木耕太郎さんがナビゲーターを務める「沢木耕太郎〜Midnight Express 天涯へ〜」というJ-WAVEのスペシャル番組に電話出演できたりと幸せな一年を送ることができました

番組の中で沢木氏はご自身の御父様が残した「差し引けば 幸せ残る 年の暮れ」という句を紹介しながら、差し引いてほんの少し幸せが残ればよいという生き方をよしとしながらも、「今が時なんだ、今が時なんだ」という言葉をかけ、自分を奮いたたせて、前のめりになって歩いていくこともあると仰っていました。

僕たち夫婦も現状に満足せず、これからも、前を向いて、積極的に動いていきたいと思います。

以下、2018年の目標です!

① 親孝行をする

② 筋肉をつける

③ 英語力をあげる

④ それぞれの誕生日をペナン以外で過ごす

⑤ トークイベントを開催する

⑥ 安定した収入源を確保する

ということで、みなさま、2018年も「たびなすび」をよろしくお願いいたします。

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