ネパール

変わりゆくネパール、カトマンズの一角はほぼ中国と化していた

こんにちは!たびなすびのちかです。

チャイナパワーが炸裂している昨今、日本でも中国人の爆買いが経済活性化の起爆剤の一因ともなっているとか。

中国内の格差は広がるばかりとはいいますが、なにせ根本的な人口が違います。

余裕が出てきた中国人が一斉に海外を目指せば、それはそれは大人数となることは想像に難くありません。

ネパール人が懐かしそうに日本語を話す

ポルトガルを訪れた際に感じたように、小国と呼ばれ経済発展が芳しくない国は総じて語学力が高いです。

ネパールも昔からヒマラヤの恩恵を受け、古くから多くの観光客を受け入れてきた観光大国。

一方国内インフラ整備はうまく進まず、更に政治的にも不安定な時期が長いため、働くなら海外で出稼ぎをし、そのお金をネパールに持って帰り観光客相手に自分の店を開きます。

このようにネパールでは外国語ができることが即自分の収入につながるため、語学に堪能な人がたくさんいるのです。

 

更におもしろいのは、年齢によってできる語学がちがうということ。

私達と同年代の中年おっさんでやり手そうなネパール人は、日本語ができる確率が高いです。

テレビ番組の電波少年で猿岩石のユーラシア横断が大人気となり、空前のバックパッカー旅行ブームになったのは、私達が大学生のとき。

大学生はこぞって当時の開発途上国へ貧乏旅行に出かけ、爽やかなキムタクロン毛先輩が突然ドレッドヘアになったり、きれいなワンピースを着ていた同級生がエスニックファッションにハマってどこかの部族のようになっていたっけ…。

かくいう私もタイに出かけ、現地のタイ人が絶対に着ないような染め物Tシャツにダボズボンのような染め物タイパンツで意気揚々と帰国。

洗濯機にそのまま入れて、母の真っ白なズボンを緑色に染めたっけ…。

 

そんな猿岩石もどきの日本人が大挙して訪れた時期に日本語を習得したネパール中年オヤジたちですが、現在は日本人観光客はめっきり減ったとのこと。

それでもただでは起きないネパール中年おじさんたちは、現在観光客数第一位である中国語を自由自在に操っているので、まず彼らには中国語で話しかけられます。

 

「ニーハオー、歓迎光臨!」

「ちがうよー、日本人だよー」と返すと、

「日本人!ひっさしぶりだなー、中見てって!それにしても珍しいよ、日本人。最近話してないから日本語忘れちゃったー。」と超流暢な日本語に一瞬で切り替えるおじさん。

「日本人珍しいんですか。」

「そうよ、めっきりだよ。」

単語のチョイスがうまい。

「昔は日本人だらけでさー、一日中日本語ばっかり話してたっけなあ。最近は中国語しか使わないからねえ、難しいよ中国語。ああ、日本語懐かしいなあ…。」

あまりに哀愁にひたるので、思わずTシャツを何枚かゲット。商売上手のネパール人のことですからこれも売り文句の一つだったのかもしれませんがね。

中国人観光客相手の中国人の店

哀愁ネパール人の言葉にもあるように、現在ネパールを訪れる観光客は圧倒的に中国人が多いです。

さらに、その中国人観光客目当てに食堂旅行会社不動産屋さんまで経営する中国人が増えており、カトマンズのメインストリートはほとんど漢字に埋め尽くされ、中国に旅行に来ているような不思議な気分。

食堂に入っても店長はもちろん、コックさんもウェイトレスも全部中国人で、メニューももちろん中国語。日本でもなかなか味わえないような本格的な中華料理がネパールの物価に合わせた激安価格で提供されるのです。

Kathmandu_momoPhotography by YOSHI

 

レパートリーの少ないネパール料理のカレー、焼きそば、餃子のローテーションに飽きてきたころにチャイナな食堂が目に入り、価格もネパール料理と変わらない。とすれば勝手に足が向いてしまいます。

ネパールに来たのだから現地の味を、とは思うのですが、結局本能には逆らえず中華三昧の生活を送ることに…。チャイナは引きが強いのよー。

 

私達が麻婆豆腐をヒイヒイ言いながら食べている横に座る、土埃舞うカトマンズでビシっとスーツで決めた中国人営業マン。

ネパール人に不動産投資のパンフレットを差し出しながら、営業トークを繰り広げる彼が話しているのが流暢なネパール語であるのに気づき、中国人の行動力に改めて脅威を抱いたのでした。