90年代後半に日本人バックパッカーが急増したのはなぜか

   

お久しぶりです。たびなすびのよし(夫)です。

このブログは話し好きのちか(妻)に任せっきりなのですが、たまには何か呟いてみようかなと思います!

Photography by YOSHI

今日は「90年代後半の日本人バックパッカー」について。キーワードは「深夜特急」「猿岩石」「青年は荒野を目指す」「タイは、若いうちに行け」「円高」ですかね。

プロフィールにもありますが、僕は高校時代に「深夜特急」に強い影響を受け、その興奮冷めやらぬまま大学生になってしまったので、大学時代は暇さえあれば航空券の値段を調べていました。バイトも週に60時間ぐらい入っていましたね・・・。

当時(1990年代後半)、東南アジアのバックパッカーと言えば、日本人が一大勢力で、日本の若者の間ではテレビなどの影響もあり、海外旅行、特に貧乏旅行(いかに安く旅をするか)がブームにもなっていましたので、旅先で出逢う旅人たちとも話題の中心は「いかに安く、そして、陸路でどの国境を越えてきたか」でした。今はわざわざ陸路で20時間かけてバス移動しなくても、LCCを使えば、バスよりはやく、ときには安く移動できたりもするので、よほどのことがない限り、長距離バスを選択することはないのではないかと思います。

なかったんですよね・・・安く移動できる手段が・・・バスしか。

でも、「いかに安く、そして、陸路でどの国境を越えてきたか」で旅を語り合っていた理由は他にもあるんです。

理由 その1:旅行本や旅ドラマの影響

まず、挙げなければならないのは「深夜特急」ではないかなと思います。26歳の青年が仕事を辞め、あり金を握りしめ、インドのデリーからイギリスのロンドンまで乗り合いバスで旅をするという物語。文庫本の初版が1994年に発行されたのですが、当時ゲストハウスで出逢う旅人のバックパックからまさにバイブルのように「深夜特急」が6冊スッと出てくると嬉しかったですね。宿での会話に困ったときも「深夜特急」の話をすれば何とかなるだろうと思っていましたし、実際に「深夜特急ルート」が旅の定番でもありました。「僕は東から西へ」「私は西から東へ」そんな会話をよくしていました。

そして、テレビの力。1996年に「進め!電波少年」という番組で猿岩石がヒッチハイクの旅をし、また、ほぼ同時期に沢木耕太郎の「深夜特急」と五木寛之の「青年は荒野を目指す」がドラマ化されていましたので、大沢たかお猿岩石、はたまた安藤政信と自分を重ね合わせながら旅していたという人も多かったのではないかと思います。僕は(大沢たかおには大変申し訳ないんですが)完全に大沢たかおを演じていましたね。

 

ほかにも下川裕治の「12万円で世界を歩く」や、小林紀晴の「アジアン・ジャパニーズ」など、若者の心を揺さぶる旅行本が本屋に並んでいました。どれもこれもが「みんなで楽しもうぜ!」といった内容ではなく、旅先で自分と向き合い、旅を通じて感じた心の声が繊細に表現されており、実際に体験してみたいと思わせるようなものばかりでした。

ひとりバスに乗り、窓から外の風景を見ていると、さまざまな思いが脈絡なく浮かんでは消えていく。

そのひとつの思いに深く入っていくと、やがて外の風景が鏡になり、自分自身を眺めているような気分になってくる。

バスの窓だけではない。私たちは、旅の途中で、さまざまな窓からさまざまな風景を眼にする。それは飛行機の窓からであったり、汽車の窓からであったり、ホテルの窓からであったりするが、間違いなくその向こうにはひとつの風景が広がっている。

しかし、旅を続けていると、ぼんやり眼をやった風景の中に、不意に私たちの内部の風景が見えてくることがある。

そのとき、それが自身を眺める窓、自身を眺める「旅の窓」になっているのだ。ひとり旅では、常にその「旅の窓」と向かう合うことになる。~中略~

ひとり旅の道連れは自分自身である。周囲に広がる美しい風景に感動してもその思いを語り合う相手がいない。それは寂しいことには違いないが、吐き出されない思いは深く沈潜し、忘れがたいものになっていく。

「旅する力」 p142

このように。。。

理由 その2:円高

このまま浸りに入りそうなので、話を戻しますが、当時、海外旅行や一人旅がブームになった主要因として、もう一つ考えられるのは円高です。

日本の海外旅行自由化は1964年にはじまりますが、1970年代前半までは固定相場制で1ドル360円、変動レートになってからも1ドル200円台は1980年代前半まで続き、1ドル100円台に突入したのは1985年のプラザ合意以降なんですよね。

日本人の出国人数をグラフにしてみましたが、90年代に入り急増したのも納得です。

僕がはじめて旅らしい旅をしたのはそんな比較的海外旅行がしやすくなった90年代後半でした。グラフの青い縦線が僕たち夫婦が海外旅行の魅力に取り憑かれていた学生時代です。

90年代の急上昇後、この20年はレンジ形成中といった感じですね。LCCで安く海外旅行ができるようになった一方で、YouTubeやVRなどでわざわざ現地まで行く必要がなくなってきた現代ですから、このあとさらに上昇するのか、それとも下降していくのかは予想できませんね。

 

「タイは、若いうちに行け。」

いろいろな影響を受けた僕が90年代後半に旅らしい旅の目的地として最初に選んだのは「タイ」です。現在アラフォーの方々は「タイは、若いうちに行け。」というタイ国際航空のキャッチコピーに聞き覚えがあるのではないでしょうか。なかなかインパクトのあるCMでした。「深夜特急」を貪り読んでいるところに「タイは、若いうちに行け。」なんて言われたら、もう行くしかありませんでした。

そこに何があるのかもよくわかっていませんでしたし、とにかく、『深夜特急』のような旅をしようとしか考えていませんでしたので、特にこれといった目的もなく、ただただ「旅人の聖地」と言われる、「カオサン@バンコク」を目指したのです。

Photography by YOSHI

Khaosan Road

衝撃でしたね。だって、タイなのに、タイ人がほとんどいないんですもん。外国人観光客のための場所ではありましたが、何より日本人のバックパッカーが多かった。400メートルほどの一本道であるカオサン通りを5メートル歩けば日本語が聞こえてくるというぐらい日本人が多く、東南アジアのバックパッカーと言えば日本人が一大勢力でした。

その旅人の聖地、カオサンで驚かされたのは日本人の多さだけでなく、旅に関する情報の充実度も然り。「Yahoo! Japan」を開くのに3分かかったり、国際電話をかけるのに有料だったりと、手元のスマホから情報が得られる現代の旅からは想像もできない環境ではありましたが、「とりあえず、カオサン」に行けば何でも揃いました。

まず、カオサンで旅の情報を仕入れ、そこで目的地を探すという旅がメジャーでした。

90年代の旅を語る上でカオサンは外せません。まるでスマホのような役割を担っていましたからね。いまもなお、バンコクはバックパッカーの溜まり場となっていますが、以前とはだいぶ雰囲気も変わりました。

5年、10年で街も変わりますし、時代が変われば旅のスタイルも変わります。最近はスマホからリアルタイムで情報を確認することができますし、旅先で出逢った旅仲間ともSNSで繋がることができるので、昔のような旅先で一人浸るという旅よりも、旅仲間同士が繋がり合って、"ドキドキ"や"ワクワク"を共感しあうといった旅がトレンドなのかなぁと思います。

時代にあった旅のスタイルを楽しめたらいいですね!

以上、「90年代後半の日本人バックパッカー」についてでした〜。

 

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